弾く人の心を写すピアノの音色。
その日、その時々に指から伝わる微妙な変化をキャッチし
表現されるその繊細な仕組みは、どうなっているのでしょう?
素材や設計、造りの違い、また、輸入、国産ピアノのメーカーのご紹介など
良いピアノの選び方にもつながる“ピアノ”という楽器について松田楽器ピアノギャラリーのスタッフがお届けします。
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今日から7月!!毎日暑い日が続き、早くも夏バテ気味のピグです(*^^)v
そんな暑さで滅入りそうになる気分を晴らしてくれるのがピアノの音
特に現在売場にある第一次黄金期に作られたスタインウェイのピアノは
なめらかで透明感があり、心がすっきりする音色を奏でてくれます。
そんな素晴らしい音色のスタインウェイピアノ。
スタインウェイは長年に渡り、あらゆるジャンルのアーティストに愛され
そのアーティストがいたからこそスタインウェイの名は全世界に広まりました。
今回は、スタインウェイを世界に広めた音楽家の一人
祖国ロシアで音楽の才能を開花させ、アメリカで更なる名声を確立した音楽家の
ゼルゲイ・ヴァシーリエ・ヴィチ・ラフマニノフ(1873~1943)をご紹介したいと思います。
有名な曲は「前奏曲嬰ハ短調」「交響曲第一番」「ピアノ協奏曲第2番」など。
1873年、ロシアの没落した貴族の家に生まれたラフマニノフは、幼少期から音楽の才能に優れており、彼の従弟の紹介でモスクワ音楽院に入学、寄宿先で出会ったチャイコフスキーに才能を認められ目をかけてもらったそうです。
1891年 18歳の時ピアノ協奏曲第1番、その翌年、前奏曲嬰ハ短調を作曲。
この曲は熱狂的な人気を獲得しラフマニノフの代名詞のような存在になりました。
1895年交響曲第1番を作曲、97年に初演されたのですが、聴衆に厳しく酷評され
記録的な大失敗。この事がきっかけで、神経衰弱・完全な自信喪失となり
ほとんど作曲出来ない状態に。しかし、その後作曲意欲を取り戻し
1900年から1901年に「2台のピアノのための組曲第2番」「ピアノ協奏曲第2番」を作曲。
この曲によりラフマニノフは作曲家としての名声を確立しました。
ラフマニノフという名前は知らなくてもフィギュアスケートやCM・映画・ドラマなどで
よく使用されていますので、実は様々なシーンで彼の曲を耳にしていると思います。
感傷的になれる曲が多いと言われる事の多いラフマニノフ
楽譜を書き下ろすときには、常に自分の心の内にあるものを単純明快に飾らずに表現することを大切にしていたようです。
ストレートな表現だからこそ、心に強く響いて印象に残るのかも・・・
数々の名曲生み出したラフマニノフの愛したスタインウェイピアノ。
ただ今、スタインウェイの中でも第一次黄金期と呼ばれる、良い時期につくられた
スタインウェイOモデルが、松田楽器ピアノギャラリーで展示中です♪
ご興味のある方は是非ご試弾にどうぞ
こんな情報知りたかった!と思ってくださった方!
今後のブログネタの参考にさせていただきますので、ぜひ「拍手する」していただけますと嬉しいです♪
よろしくお願いします!!
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